ガードマンの制服物語 vol.1

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ガードマンの制服物語
オスマン帝国皇帝親衛隊

イェニチェリ

(14~19世紀)

この連載では、世界の「ガードマン」の制服をご紹介します。第1回は、東ローマ帝国を滅ぼした史上最強のガードマンが登場!

ときに大鍋を引っくり返した最強のガード部隊

警備員を指す「ガードマン」という語は、実は和製英語です。英語本来のガードマン(Guardsman)は、皇帝や国王など要人を警護する「近衛兵」や「親衛隊」のエリート隊員のイメージ。このイェニチェリはまさに最強のガード部隊です。
1360年代にオスマン帝国で創設されたこの部隊は、優秀な少年を徴集して鍛え上げた親衛隊で、欧州の騎士たちを300年間以上にわたって震え上がらせました。当時は現代のように国家が一定の武器や制服を定めるわけではなく、服装や装備は個人により時代により、かなり幅がありました。儀礼や戦闘で歩兵が身に付けたのが、「カシュクルク」というスプーン型の帽章を付けた背の高いビョルク帽。歴戦の兵士は勲章のように羽飾りを付けました。帽章は「皇帝と同じ釜の飯を食う」(実際に一日一回、皇帝から賜った食事を大鍋から食べた)という彼ら独特の特権意識と鉄の団結の象徴でした。
しかし、そんな彼らを恐れたのは敵ばかりではありません。不満を持った彼らは本気で怒ると、大鍋を引っくり返しました!それは反乱を意味し、歴代のオスマン皇帝が最も恐れたことでした。

イェニチェリの軍団長(馬上)と兵士。兵士はカシュクルク付きのビョルク帽を、軍団長は高位高官用のターバンを被っている
1. 肋骨服

軍団長が身に付けているのは、皇帝や側近、高官がよく着ていた「肋骨服」。胴体の前面に複数の飾り紐が付けられている。ここでは高位の軍人らしく、ふんだんに装飾の入った豪華な生地のものを着ている。

2. 垂れ袖のドラマン(上着)

兵士はオスマン帝国で流行した「垂れ袖」のドラマン(上着)を着用している。上着の袖を完全に縫い付けず、腕を通さないで垂れ下げる着こなしで、欧州の服装にも強い影響を及ぼした。

辻元よしふみ 文
辻元玲子 絵

辻元よしふみは服飾史・軍装史研究家、陸上自衛隊需品学校外部講師。辻元玲子は歴史復元画家。いずれも防衛省の外部有識者を務め、陸自の新型制服制定に関わり、陸上幕僚長感謝状を授与された。テレビや新聞、雑誌等のメディアで幅広く活躍し、夫婦の共著も多数ある。

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