ガードマンの制服物語 vol.5

  • 次号
  • バックナンバー
  • 前号
ガードマンの制服物語
徳川幕府

小十人組番士

こじゅうにんぐみばんし
(1600~1860年代)

この連載では、世界の「ガードマン」の制服をご紹介します。第5回は、江戸幕府将軍を警護した日本のガードマンが登場!

武田信玄ゆかりの赤い甲冑をまとった精鋭武士団

江戸時代、徳川将軍に直属する近衛兵という立場にあったのは、俗に「旗本八万騎」と呼ばれる直参(じきさん)の武士団です。その中でも小十人(こじゅうにん)は将軍の身辺警護にあたるボディーガード部隊でした。
指揮官の小十人番頭(ばんがしら)は六位の官位を許され、一般隊員にあたる小十人組の番士も、任命されると同時に、ただちに御家人から旗本に身分が昇格する、という特権がありました。将軍の外出時には先行して警備を固め、その権威の高さで庶民から畏怖される存在でした。
目の覚めるような真っ赤な甲冑は、戦国時代の英雄、武田信玄の家臣団から始まった「赤備(あかぞな)え」です。武田遺臣である真田氏のほか、武田家旧臣を受け入れた井伊家の赤備えが有名ですが、幕府も信玄ゆかりの真っ赤な軍装を、エリートの象徴として採用したのです。

1. 金色の輪の前立ては幕府直参の証し

兜の前立てとして、「金輪貫(きんわぬき)」を使用した。金色の円形で、中央部が抜けている形状だ。これは金色の甲冑を愛用した徳川家康が使用して以来、徳川家の直参部隊が共通で使用するもので、いわば徳川幕府軍の主力部隊を意味するシンボルだった。

2. 顔面を守る防具も簡素

顔面を守る防具は、全面を覆う面頬(めんぽお)ではなく、顔の下半分から顎だけを守る半頬(はんぽお)あるいは猿頬(さるほお)と呼ばれる省略型だ。こうした防具は古くから下級武士の装備品で、小十人の「将軍直属のエリート」だが「幕府軍の中では格下の歩兵扱い」という微妙な立ち位置を示すといえる。

3. 真っ赤な甲冑は「貸与品」

小十人組の番士の真っ赤な甲冑は、個人で用意するものではなく、幕府から貸与される「お貸し具足」で、番士に任命されると着用を許され、役職を離れれば返還した。小十人は原則として歩兵部隊であり、身分は旗本だが、一般の番士は乗馬が許されない。上級の武将のような「袖」などの装飾はなく、胴の部分も紺糸素懸縅(こんいとすがけおどし)という簡素な形式だった。

4. 太ももは防御するが、脛(すね)は無防備

太ももの部分を守る佩楯(はいだて)は四段の形式。一方、脚を防御する脛当(すねあ)てがない。通常の具足一式には必ず脛当てが付属するのだが、小十人は歩兵部隊であるため、徒歩の軽快さを生かすため、また下の方から攻撃される可能性が少ないために、あえて脛当てを省略したと思われる。

辻元よしふみ 文
辻元玲子 絵

辻元よしふみは服飾史・軍装史研究家、陸上自衛隊需品学校外部講師。辻元玲子は歴史復元画家。いずれも防衛省の外部有識者を務め、陸自の新型制服制定に関わり、陸上幕僚長感謝状を授与された。テレビや新聞、雑誌等のメディアで幅広く活躍し、夫婦の共著も多数ある。

ガードマンの制服物語 vol.5

  • 次号
  • バックナンバー
  • 前号