Always Essay ゆるゆるな日々 vol.17

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Always Essay ゆるゆるな日々

春の雨の日に

鈴木さちこ

卒業が近づいた中学三年生、春の初め頃。下校途中に大粒の雨が降り出した。私は持っていたタオルを頭に乗せ、足早に家へ向かっていた。道の向こうから、ビニール傘をさした同じクラスのAくんが歩いてくるのが見えた。特に仲良くはないけれど、偶然こんなところで会ったということもあるのか、お互いぎこちなく会釈をした。

すれ違おうとしたとき、突然Aくんが「持ってけ」と傘を差し出した。私は驚き、「いいよ」と断った。「もう家が近いから」本当に家まであと1分くらいのところだった。「持ってけ」「いいよ」そのやりとりを何度繰り返したのだろう。Aくんは声を荒らげ「持ってけ!」と、私に開いたままの傘を投げつけて走っていってしまった。私にも、こんな少女漫画みたいなことがあるんだ。雨に濡れながらAくんの姿が消えるまで、ぼんやりと考えていた。地面から拾い上げた傘の柄が、ほんのり温かくてドキッとした。

家の傘立てに馴染まないAくんの傘。それを返す方法に、私は頭を悩ませた。

Aくんは同じクラスのMちゃんと付き合っていた。Aくんが歩いてきたのは明らかにMちゃんの家の方向で、家に送っていった帰りだったのでは?自分と相合傘をしていた傘を私に貸したことを知ったら、Mちゃんは怒るかもしれない。それとも、「Aくんて優しいね!傘貸してくれたんだよ!」なんて、Aくんを褒めつつ、明るく言えばいいのだろうか。結局、Mちゃんにはなんとなく話せないまま、卒業式を迎えた。

誰にも話すことなく、30年が経ってしまった。今となっては、どんな風に傘を返したのか覚えていない。ただ、私の中に今でも残っているのは、罪悪感と優越感が混ざった複雑な女心である。Aくんは私のことも、この些細な出来事も覚えていないだろうなと思う。背が高くて、豪快に笑う男の子だった。まだ寒さが微かに残る春の道で、沈丁花の香りが漂うと思い出す。雨の中立ち尽くすセーラー服の私。走り去るAくんの後ろ姿と傘の柄のぬくもりを。

すずき・さちこ

1975年東京生まれ。旅好きのイラストレーター・ライター。
「きのこ組」「うちのごはん隊」などのキャラクターを手がける。著書に『電車の顔』『日本全国ゆるゆる神社の旅』『住むぞ都!』『路面電車すごろく散歩』ほか。

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