ALSOK 将棋コラム

戦型選択の戦略についての一考察
~棋士は、なぜその戦型を選ぶのか?~

近年、序盤戦術はAIの力を得て飛躍的に進歩しました。そのため、現代将棋における戦型選択は勝敗に占める重要なポイントの一つとして、大きな見どころになっています。
本コラムでは、第72期王将戦第一局から第六局の戦型を振り返り、両者の採用した戦略と公式戦への影響について考察します。
※あくまでも筆者個人の見解であり、対局者の思惑を推察する記事になります。

戦型選択概要
  • 今回は藤井王将、羽生九段が居飛車を中心とした戦術を採るため、相居飛車の戦型選択に絞ります。また、各戦型の細かい分岐には触れません。
  • 相居飛車の戦型は数多くありますが、代表的なものは6つに絞ることができます。具体的には、「矢倉」「相掛かり」「角換わり」「横歩取り」「雁木」「一手損角換わり」です。どれも第一級の戦法で、現在も公式戦で採用されています。
  • 相居飛車においては後手が主導して戦型を決定することが可能であり、後手は「(A) 戦型を決定する」または「(B) 決定権を放棄し、先手に決定権を与える」のどちらかを選択します。
  • (A) の場合は、後手が「横歩取り」「雁木」「一手損角換わり」の3つの中から戦型を選択します。一方、(B) の場合は、先手が「矢倉」「相掛かり」「角換わり」の3つの中から戦型を選択することになります。
  • 後手は(A)の戦略をとることで、「横歩取り」「雁木」「一手損角換わり」のうち、どれか一つの戦法について時間をかけて深く研究をしておけばよいことになるため、後手の戦略としては理にかなったものであるように思えます。一方、(B)の戦略をとる場合は、先手の意向により「矢倉」「相掛かり」「角換わり」の3通りすべての可能性があり、これらすべてについて事前に作戦を用意しておく必要があります。
  • 後手としては(A)の戦略をとるべきなのでしょうか?
  • 話はそれほど簡単ではありません。(A)で後手が選択する戦法には、先手側に有力な対抗策があるとされており、このことが後手にとって課題となっています。
  • 横歩取りの課題 青野流
    雁木の課題 幅広い雁木対策
    (早繰り銀、腰掛け銀、矢倉など)
    一手損角換わりの課題 早繰り銀
  • 一方、(B)の場合は、先手番に戦型の選択権を与えはしているものの、後手番は、局面の主導権を渡すことなく難しいながらも互角に戦える、と考えられているようです。
  • これまでの説明をまとめますと、「表1 相居飛車の代表的な戦型の分類」のようになります。後手の戦略として、「(A) 先手側に有力な対抗策があり、課題となる局面を抱えてはいるが、自分の想定した戦型に持ち込んで戦う」というものと「(B) 先手側の想定の戦型に飛び込みながらも、先手・後手の両勢力が均衡した状況で、局面の主導権を渡さずに戦う」というものがあるわけです。
  • 表1 相居飛車の代表的な戦型の分類

    戦型決定の流れ 戦型 後手側の課題局面
    (A) 後手が戦型を決定する。 横歩取り、雁木、一手損角換わり あり
    (B) 後手は戦型の決定権を先手に譲る。
    先手が戦型を決定する。
    矢倉、相掛かり、角換わり なし(※)

    (※「なし」は正直言い過ぎで、「(B) も懸念材料は多くあるが、(A) と比べれば受け入れられやすいものと考えられる」というのが適切なところです。)

  • ここまでを前提として、棋士の戦型選択について考えます。公式戦は持ち時間が長く、対局者も互いに高い棋力を持つことから、相手のミスは期待できず、僅かな差が勝敗に結びつくと考えられます。そのため、後手番となった棋士によって(B)の戦略がとられることが多いようです。(A)はスペシャリストと呼ばれる一部の棋士が採用する戦略だと考えています。
  • 実際、4強と呼ばれた藤井王将、渡辺九段、豊島九段、永瀬九段が後手番となった場合は、(B) を選択している印象です。
  • この前提の上で、(A)の戦型で後手の有力な作戦が発見されたり、(B)で先手の有力な作戦が発見されたりすると、(A)が増える傾向にあります。最近、「先手角換わり必勝説」が将棋界で大きな話題を呼びました。それが将棋の結論として正しいのかは今後検証が進んでいくと思われますが、仮に正しいのであれば、(B)の採用が減り、(A)の採用が増えると思われます(同じ理由により、後手番の作戦として居飛車党による振り飛車の採用が増えてくるかもしれません)。
  • YouTubeの「戸辺チャンネル」にアップされている動画「渡辺明名人の【作戦術】」では、渡辺明九段が「先手番・後手番の作戦」等を詳しく解説しています。興味のある方は検索してみてください。
第72期ALSOK杯
王将戦における戦型選択
  • 以上を踏まえて、第72期ALSOK杯王将戦で採用された戦型を振り返ります。羽生九段が後手で「一手損角換わり」「雁木」「横歩取り」、藤井王将が後手で「相掛かり」「角換わり」に進んでいます(「表2 第72期ALSOK杯王将戦で採用された戦型」参照)。
  • 羽生九段が後手の場合、後手が戦型を決定する戦法に進んでいます。一方で、藤井王将が後手の場合、先手が戦型を決定する戦法に進んでいます。
  • 羽生九段は戦略(A)を、藤井王将は戦略(B)を選択しており、両者の戦略が真逆であったことが分かります。
  • 表2 第72期ALSOK杯王将戦で採用された戦型

    対局 後手対局者 戦型 勝者
    第一局 羽生九段 一手損角換わり 藤井王将
    第二局 藤井王将 相掛かり 羽生九段
    第三局 羽生九段 雁木 藤井王将
    第四局 藤井王将 角換わり 羽生九段
    第五局 羽生九段 横歩取り 藤井王将
    第六局 藤井王将 角換わり 藤井王将
  • 戦型が決定すれば毎回同じ局面になるわけではなく、テーマ図と呼ばれる局面が各戦型に複数存在しています。一将棋ファンの推測ではありますが、このテーマ図についても羽生九段が主導しているような印象を持ちました。第72期ALSOK杯王将戦においては、広く可能性を取る羽生九段が未開拓のテーマ図を提示し、それに対して深く突き詰める将棋を指す藤井王将がその局面に挑むというぶつかり合いが醍醐味の一つであったと言えるでしょう。
公式戦への影響
  • 公式戦への影響も推測に留まりますが、羽生九段が戦略(A)をタイトル戦で選択した影響もあってか、戦略(A)の戦型の見直しが進んでいる印象があります。もちろん角換わり先手必勝説の影響など、他の色々な要因もあると思います。
  • 一方で、羽生九段が後手番の場合、(A)の戦略を採った羽生九段に対して、先手番の藤井王将が素晴らしい対応を見せて3戦全勝と完封しています。そのため、戦略(A)のテーマ図となっていた局面のうち、あまり指されなくなってくるものも現れるかもしれません。例えば、王将戦第三局で藤井王将が指した2六飛は対雁木の一つの形として定着し、今後の将棋界の流れに大きな影響を与えたのではないかと感じました。
第73期ALSOK杯
王将戦七番勝負への期待

AIの影響で、戦法がかつてない速度で進化する現代将棋。今期の七番勝負は棋士の戦略とトレンドがぶつかり、また新しい将棋が見られると思います。
勝敗が最も重要であることはもちろんですが、対局棋士が披露する、とっておきの作戦も七番勝負を彩る一つの要素として大変興味深いところです。(執筆時期2023年10月)