Always Essay ゆるゆるな日々 vol.6

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Always Essay ゆるゆるな日々

夏の音

鈴木さちこ

夏休みの家族旅行は海水浴が定番で、千葉県の房総半島の民宿に泊まることが多かった。客室から見える輝く海も、夜は真っ黒に変わる。布団に入り、目を閉じると聞こえる波の音。ゆらゆら海の中で漂うような不思議な感覚になり、そのうち眠りに落ちていく。子供の頃を思い出すとき、季節の中で夏が一番鮮明だ。風鈴の音、扇風機で声を震わす音、高校野球のサイレン。映像と共に印象的な音が、耳に残っているからだと思う。代表格は蝉の声。日中は、ミーンミーン。ジージー。その力強い鳴き声と共に、日焼けして真っ黒な私も元気に動き回る。友達の家や公園、プール、図書館、習い事。小さな自転車で町中を移動した。やがてツクツクボウシ、ヒグラシの声が響き始める。帰らなくちゃ。長い坂をスピードあげて降りていく。玄関のドアを開けると、家庭菜園で採れた不格好なトマトが山のように置かれている。

夜はナイターの音。父がステテコ姿でビールと枝豆を楽しむ。トマトは皮を剥かれ、お皿に並ぶ。汁が垂れないように、種の部分をジュルッと吸い込む。どこからか打ち上げ花火の音が聞こえる。ベランダに出ても、遠くの空は赤や黄色に染まっているのに花火は見えず、もどかしい。ナイターが終わる頃、隣の家のお姉さんは綺麗な声で、ギターを弾きながら歌う。夏は、どの家も網戸なので良く聞こえる。クーラーなんて特別な日にしかつけなかった。あ、夜のにおいが変わった。生ぬるい空気の中に、ときおり鼻がつんとするような冷たい風が吹く。秋の虫が鳴き始め二つの季節が交差するとき、子供なりにセンチメンタルな気分になったものだ。夏の終わりは、どうしてこんなにも儚いのだろう。隣のお姉さんは「ドナドナ」を歌い始めた。夏休みの宿題は、まだ終わらない。
近年は夏の音が少なくなり、子供の頃よりも季節の境目がはっきりしなくなってきたような気がする。風鈴でも買ってみよう。息子が大きくなったときに、いつか今夏のことを思い出してくれるかもしれないから。

すずき・さちこ

1975年東京生まれ。旅好きのイラストレーター・ライター。
「きのこ組」「うちのごはん隊」などのキャラクターを手がける。著書に『電車の顔』『日本全国ゆるゆる神社の旅』『住むぞ都!』『路面電車すごろく散歩』ほか。

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